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歴史小話


鉄血演説



18世紀初めのナポレオン戦争によって神聖ローマ帝国(ドイツ)は完全に解体され、諸侯による分裂国家となってい案した。ドイツ統一を成し遂げたのは、その中で最も強大な力を有していたプロイセンが中心となってドイツ派統一されます。その中心になって力を発揮したのがオットー・フォン・ビスマルクで、その評価は様々とはいえ、近代世界史において、もっとも重量級の政治家の1人であることは、事実でしょう。

そのビスマルクは、時として、鉄血宰相の異名で知られます。それは、1862年9月30日、下院予算委員会で議員を前に行った、鉄血演説と呼ばれる演説がきっかけでした。

ビスマルクは9月22日にプロイセン首相として国王より任命されました。47歳の時でした。ぞの前歴から極右と見られており、保守派からは歓迎され、自由主義者からは危険人物視されていました。そして、この不人気の内閣は短命に終わるであろうと見られており、同月23日に下院議会はこのような内閣に軍制改革のための金と人を供出できないとして、その予算支出を圧倒的多数を以って否決しました。

この状況を打破すべく下院の予算委員会で議員を前にして軍備の必要性を訴える演説を行いました。

「ドイツがプロイセンに注目しているのはその自由主義ではなくして力である。現下の大問題は言論や多数決によっては解決されない。これが1848年から49年の大錯誤であった。これは鉄(武器)と血(兵士)によってのみ解決される」

この演説は鉄血演説と呼ばれビスマルクの政治理念や人となりや政治理念を如実に表したものとしてとらえられます。この演説は、国内問題より、対外紛争の方が事態が窮迫していることを切実に訴えたものでした。この発言の前にビスマルクは予算委員会に対して歩み寄りの姿勢を見せており、自由主義者を憤激させることになったこの言葉は失言に他なりませんでした。

結果、予算は承認されず政府と議会の対立は決定的なものとなり、ビスマルクは窮地に立たされます。ビスマルクは予算なしでも軍制改革に乗り出す腹を固めます。この当時の憲法では、予算を毎年法律で確定するように求め、国王と上下両院の一致を必要とすることを定めていました。しかし、この条件が満たされない場合の規定はなく、その隙間をついて国王の有する統治権に基づき政府は予算の支出ができる、という理屈で、強行したのでした。

このため、プロイセンの下院議会は、これを憲法違反だとする決議を出し、憲法紛争へと発展します。しかし、ビスマルクは野党や反ビスマルクの勢力を押さえるには強行策で応じるのが最も有効な手段だと見抜いており、そのように対応します。さらに、当時ドイツが抱えていた様々な紛争など諸問題はビスマルクに有利に働き、その後の対オーストリア戦争に勝利した後、議会と和解し、これらの予算案は事後承諾されました。