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歴史小話


ドランドの悲劇



1908年にイギリスで開催されたロンドンオリンピック。イタリアのトップランナーだったドランド・ピエトリ選手は40kmを2時間38分という当時としては破格の好成績で、男子マラソンに出場しました。

この日はイギリスとしては異常な暑さの中で、14時33分にレースがスタート。ピエトリ選手は39km地点でトップに立ち、スタジアムに1着で戻ってきました。しかし、暑さのために疲労は限界に達しており、スタジアムに入ったところで倒れてしまいました。係員が手を貸してピエトリ選手を立ちあがらせ、ゴールへと向かわせますが、幾度も倒れ、そのたびに係員に助けられて、ラスト350mを10分もかけてゴールしました。最終タイムは2時間54分46秒でした。

2着になったのはアメリカの選手でしたが、アメリカチームはピエトリ選手が係員に助けられてゴールしたのは反則だとして抗議。抗議は認められ、ピエトリ選手は失格となり、最終成績からも抹消されてしまいました。これが有名なドランドの悲劇です。

ピエトリ選手の頑張りは75,000人の観客やアレキサンドラ王妃を感動させ、アレキサンドラ王妃はピエトリ選手に銀のカップを授与しました。

ところで、このレースはマラソンが42.195kmとされるきっかけとなったレースとして知られます。当時のマラソン競技の距離は約40kmで、固定された距離はありませんでした。この大会では当初、国王の住むウィンザー城からシェファードブッシュ競技場の26マイル(41.843km)で競うこととされていましたが、アレキサンドラ王妃が、「スタート地点は宮殿の庭で、ゴール地点は競技場のボックス席の前に」と注文したために半端な数字の距離(385ヤード)だけ延長されたという逸話が残っています。