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歴史小話


ラ・マルセイエーズ




「ラ・マルセイエーズ」


日本の国歌についての意識について語られる時にたびたび引き合いに出されるのが、フランス国歌の『ラ・マルセイエーズ』だったりします。

『ラ・マルセイエーズ』はフランス革命の真っただ中の1792年4月に、フランス革命政府によるオーストリアへの宣戦布告の報がストラスブールに届いた際に、同地に駐屯していた工兵大尉ルージェ・ド・リールが出征する部隊を鼓舞するために、『ライン軍のための軍歌』というタイトルで一夜にして作詞作曲したものとされます。この曲を見た市長は感激し、曲を披露する機会が用意され、各地に伝播されていきました。

フランス革命によってその地位を追われた貴族たちは、各国に亡命し、その精神が自分の国の中に入り込んでくるのを恐れた諸国はフランスと敵対するようになります。1792年4月にはフランス革命政府はオーストリアに宣戦布告。しかし、フランス軍内の士官たちも貴族階級で革命に不満を持っていたために戦争は連戦連敗を繰り返します。

プロイセン軍が国境を越えてフランス領内に侵入してきたため政府は祖国の危機を全土に訴え、それに応じてフランス各地で組織された義勇兵が続々とパリに集結しました。マルセイユとモンペリエの義勇兵は、士気を鼓舞するために、800キロの道のりを『ライン軍のための軍歌』を歌いながら行進し、これをきっかけにして、この曲は『ラ・マルセイエーズ』と名前を変えられました。
 
フランス革命は様々な変遷をたどり、一時は革命政府による恐怖政治を経験した民衆やフランス革命で冷遇されことになった王党派の蜂起・テロなどが相次ぐようになります。反動の行き過ぎを懸念した

ジロンド派の政治、ジャコバン派の恐怖政治を経て、テルミドール派の反動政治が始まるが、至る所で革命に反動的な民衆や王党派の蜂起・テロが発生。反動の行き過ぎを懸念した議会は1795年7月14日、『ラ・マルセイエーズ』を国歌として制定しました。

その後、第一帝政から王政復古にかけては、「暴君(専制君主)を倒せ」という内容であるために禁止されていましたが、1830年の7月革命以降は晴れて解禁となり、第三共和制下で再び国歌に制定されました。第四共和政の1946年憲法、第五共和政の1958年憲法いずれにも『ラ・マルセイエーズ』を国歌として定める旨が明記され、現在もフランスの国歌であり続けています。

ところで、曲を製作したリール大尉は、君主制の支持者だったらしく、時代に翻弄され、不遇に生きたと伝えられます。