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歴史小話


アナーニ事件



 中世ヨーロッパ。ローマ教皇の権威は大きく揺るぎ始めていました。1294年にローマ教皇に即位したボニファティウス8世は、教皇こそが最高の権力を持つという教皇至上主義の考え方の持ち主で、1302年に教皇が宗教上・世俗上の最高権の保持者であり、回勅「ウナム・サンクタム」を発し、すべての君主・皇帝も、すべて教皇に服従すべきであると宣言しました。

 しかし、当時の王家の力も大きく伸長しており、1285年にフランス王に即位した端麗王フィリップ4世は、聖職者を排除し、世俗の法律家を積極的に登用し、官僚組織の強化と中央集権化を推し進めました。

 フィリップ4世は経済的に豊かだったフランドルの諸都市を支配下に置こうとし、1297年からフランドルの都市市民やイングランドと激しく争いました。この戦費を賄うために、教会財産への課税に踏み切りました。これに対して、ボニファティウス8世は、教皇はフランス王に命令できるとした回勅を発しました。フランス国内の支持を取り付けて教皇と戦おうと考えたフィリップ4世は1302年に、聖職者・貴族・平民の代表者からなる三部会を招集。三部会は全会一致でフランス王を支持しました。これに力を得たフィリップ4世は、ボニファティウス8世に異端と買官と奢侈的生活があると非難し、教皇としての資格に欠けると断じました。ここに、両者の対立は決定的なものとなりました。

 ボニファティウス8世は、フィリップ4世を破門にしようとしましたが、フィリップ4世は教皇の反対派コロンナ家一族と共謀して、イタリアに軍を派遣しました。ボニファティウス8世は生まれ故郷の山間の小都市アナーニに逃げ込みましたが、フランス軍とコロンナ一族のために捕らえられた。1303年9月に起きたこの事件は、アナーニ事件として知られます。アナーニの住民の抵抗で、教皇は救出されましたが3週間後に68歳で死去しました。

 この事件の後、教皇へのフランス王の優位は決定的なものとなり、1309年から1377年にかけてはローマ・カトリック教皇の座が南フランスのアヴィニョンに移されるというアヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)の時代を迎えることになります。フィリップ4世は、アヴィニョン捕囚やテンプル騎士団を異端であるとして弾圧・解体したことなど、後世の悪評も高い人物ですが、後の近世絶対王政の時代へとつながっていきます。