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歴史小話


ポンペイの最期



古代ローマの時代に、現在のナポリ近郊でローマ人の余暇地として栄えた都市ポンペイが、79年8月24日に発生したヴェスヴィオ火山が大噴火し、短時間で消滅してしまった悲劇はよく知られるところです。

79年8月24日に発生した大噴火によって、ポンペイの町には一昼夜に渡り火山灰が降り続きました。さらに、翌25日には、現在では火砕流と知られる、火山が噴火したときに高温ガスや灰や岩石が雪崩れのように流れる現象が発生し、ポンペイの町を呑みこみました。

噴火直後からローマなどに逃れようとする市民も多くいましたが、逃げるに逃げられない市民も多く、市内にいた人々は全て死亡しました。死因は、火砕サージ(火砕流に似ているが火山ガスの比率が高いため密度が小さく、高速で薙ぎ払うように流動する現象)によるものとも言われます。死者は約2000人と言われます。火砕流が町を呑みこんだ後、さらに火山灰が町を覆いました。火山灰は3日に渡って降り続いたともされます。時のローマ皇帝は、ヴェスヴィオ火山噴火の報を聞いて使者を送りますが、使者が到着した時には、町は壊滅していました。

その後、町の再建はされませんでした。地中に町が埋まっていることは、後世の人々にも知られていましたが、本格的な発掘作業が始まったのは18世紀半ば以降。火山灰や火山灰を主体とする火砕流堆積物には乾燥剤として用いられるシリカゲルに似た成分が含まれ、湿気を吸収していたため、これらによってポンペイの町が隙間なく覆われたことで、皮肉にも貴重な壁画や美術品の劣化が最小限で食いとどめられ、古代ローマ時代の栄華を現代に伝えることになりました。