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歴史小話


自由よ、汝の名において人はなんという罪を犯したか



789年7月のバスティーユ牢獄の襲撃をきっかけにしてフランス革命の波はフランス全土に広がりました。翌8月には国民議会により人権宣言が採択され、1791年9月にフランスで初めての憲法が制定され、立法議会が成立しました。その中で政権を担ったのが商工業者を中心としたどちらかといえば穏健派のジロンド派でした。革命の中ごろまではジロンド派の勢力が強く1792年の3月に発足したジロンド派政権が誕生しました。

その中で中心人物となったのが、内務大臣となったロランの夫人でした。美貌と才気にあふれた彼女は、政治にも積極的に参加し、ロラン夫人のサロンはジロンド派にも大きな影響力を持っていました。夫が内務大臣になると、さらに積極的に行動するようになり、「内務大臣はロランではなくその夫人だ」と言われました。

しかし、オーストリアへの宣戦布告(1792年4月)をきっかけに革命は外へと向かっていきます。フランスの国内も乱れ始め、そんな中、ジャコバン派、その中でも急進的左派であったモンターニュ派がその権力を増し、ジロンド派はパリの民衆蜂起をきっかけにジャコバン派によって議会を追われ、ジロンド派の議員は逮捕されました。(1793年6月)。

ロラン夫人もまた、逮捕され、形ばかりの法廷へと連れ出されました。「白衣をまとい、長い黒髪を腰帯のあたりまで垂れて」法廷へと引き出されたロラン夫人は、そこで死刑を宣告されました。

処刑の当日、ギロチンの下へ連れ出されたロラン夫人は、死刑執行人に「紙とペンを貸してほしい」と頼みましたが、執行人はこれを拒否しました。ロラン夫人はそれ聞き、苦々しく「ああ、自由よ、汝の名において人はなんという罪を犯したか」と言ったと伝えられます。

ノルマンディーへとのがれていた夫のロランも、夫人の処刑の報を聞き、自害しました。彼女の死は革命という華々しい出来事の裏で、数多く繰り返された悲劇の一つでした。