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歴史小話


ビクトリア号の世界周航



 大航海の時代。世界で初めて、世界周航を成し遂げたのは、フェルディナンド・マゼランであったと、学校では習います。

 大航海時代の最大の目的地は、香料諸島(モルッカ諸島)でした。当時、香辛料は宝石や金に匹敵する貴重品として扱われていました。いち早く、香料諸島に到達したのはポルトガルでした。最大のライバルだったスペインも、香料諸島へと目的地を絞っていました。ポルトガルに香料諸島への主要航海ルートを押さえられていたスペインはコロンブスによって先鞭がつけられた西回りの航路によって、香料諸島を目指していました。

 マゼランは、元々はポルトガルの下級貴族であり、ポルトガルの宮廷に仕え、香料諸島に赴いたこともあり、ポルトガルの国家機密を盗み見ることができる立場にいました。しかし、ポルトガルの国王から冷遇されたマゼランは、西回り航路での香料諸島への航海計画をスペインの宮廷に持ち込みました。

 これに対し、ポルトガルからは、懐柔・中傷・恫喝といった様々な方法で、マゼランの航海を阻止しようとの動きがありましたが、これらの妨害をはねのけ、マゼランが旗艦トリニダッド号以下、5隻の船に280人の乗員を乗せて出帆したのは、1519年9月20日のことでした。

 航海は初めから苦難の連続でした。トリニダッド号をはじめ、いずれもかなりの老朽艦であり、乗組員は多くの国から集められた多国籍部隊でした。その中心はスペイン人でしたが、彼らはポルトガル人のマゼランに不信感を抱いていました。また、マゼランが、配下の乗員を指揮するために独裁に近いワンマン体制をとったことも、経験豊かな船員たちに不満を抱かせました。

 この不満は1520年に反乱につながりましたが、マゼランはこれを巧みな手腕で鎮圧し、この後は反乱の兆候はなくなりました。11月の終わりにマゼラン海峡を抜けて太平洋へと出たマゼラン一行でしたが、目的地の香料諸島はるか先でした。太平洋を抜けるのに約3カ月。まともな食料は失われ、乗員が壊血症にかかってバタバタと倒れる中、1521年3月にようやく有人の島へと到着。しかし、この周辺の島の島民をキリスト教に改宗させ支配下に置こうとしたマゼランに現住民は従わず、4月27日にマゼランは島民によって殺害されました。

 マゼランが死んだ半年後に香料諸島へ到達した一行でしたが、そこは、トルデシリャス条約でポルトガルの権益圏とされた場所でした。

 その後も辛苦を乗り越え、たった一隻生き残ったビクトリア号がやっとのことでスペイン南部のサンルーカルに到着したのは1922年9月6日のこと。この航海に耐え抜いて生きて帰国したのはわずか18名のみでした。