TURNING☆POINT〜世界史(西洋史)を舞台にした歴史映画・DVD紹介のサイト〜


カスタム検索


歴史小話


夏のない年



1815年4月10日から12日かけて、インドネシアのタンボラ山が大噴火を起こしました。死者1万人(その後の飢饉や疫病も含めると5〜9万人とも)にも上る、過去2世紀に世界で記録されたもののうち最大規模といわれるほどの噴火の、爆発音は1,750km先まで聞こえ、500km離れたマドゥラ島では火山灰のため3日間暗闇が続いたほどでした。噴火による噴出物の総量は150km3におよび、高さ3,900mあった山頂は2,851mに減じ面積約30平方キロ、深さ1,300メートルの火口が生じるほどでした。半径約1,000kmの範囲に火山灰が降り注ぎ、この火山灰によって農作物は壊滅的な被害を受けました。

この影響は、火山灰などの直接の影響にとどまらず、噴火後数か月にわたって世界各地で異常な夕焼けが見られ、この年の夏は異常に低温となり、アメリカ北東部では異常低温となり雪や霜が6月までみられました。イギリスやスカンディナビアでも5〜10月まで長雨が続き、やはり異常低温により不作、食糧不足の事態となった。影響は1815年のみにとどまらず、翌1816年は「夏のない年」と言われました。なお、日本ではこの時期の凶作・飢饉は確認されておらず、影響はなかったとも言われます。

1816年の世界的な異常気象を発端にした、農産物の壊滅的被害、伝染病の蔓延、それに伴う暴動の多発などを歴史家のジョン・デクスター・ポストは「西洋において最後で最大の危機」と呼び、スイスにおける1816年の死亡率は平年の2倍とも言われ、ヨーロッパ全体ではおよそ20万人もの死者が出たと言われます。

なお、1810年ごろから10年程度にわたって地球の気温が低下したことがわかっており、太陽活動の低下と同時期に世界の複数箇所で大規模な噴火があり、もともと大気中に多量の火山灰が存在していたところにタンボラ山の噴火が加わり、大量の火山灰により太陽光が遮られたため世界的な気温の低下が引き起こされたと考えられています。また、最新の地質調査によって、19世紀初頭に熱帯地方のどこかで巨大な噴火があったことが分かってきており、異常気象の原因を別の火山に求める説もあります。