TURNING☆POINT〜世界史(西洋史)を舞台にした歴史映画・DVD紹介のサイト〜


カスタム検索


歴史小話


神の物は神に、カエサルの物はカエサルに



宗教は多くの人間を集め、徒党を組み、それが勢力となれば、権力にも結び付きます。権力を握った、あるいは権力そのものになった宗教がどれほど残酷なことを平然とできるかは、世界史の年表の中にあふれかえっています。個人的には教義や、信仰そのものを否定するつもりはありませんが、宗教は社会的なルール……例えば法律などよりも上には置かないし置くべきではない、と考えます。もちろん、宗教的な思考を無視して法律を作ることもできませんが。たとえば宗教の教義として、殺人を肯定していた場合、実行した人間が殺人罪で逮捕・起訴されたとき、それは是か否か、ということです。

イエスを罠にはめようとした律法学者が問題にしたのも、まさにその部分でした。律法学者とは信仰や生活についての基礎となる神の教えを研究し、宗教生活のあるべき姿を説く学者です。イエスからしてみれば律法の瑣末な部分にこだわるあまり、真の信仰を見失った偽善者として対立します。

律法学者がイエスに問いました。
「先生は、真心をもって神の教えを説き、誰をもはばかるということをなさいません。しかし、この世界はローマが支配し、ローマのカエサルに貢物を納めねばなりません。貢物を収めるべきか否か、先生はどのようにお考えですか?」

ここでいうカエサルとは、ローマ最高位の官職をあらわします。もちろん、律法学者たちは、イエスが「納めなけくてよい」と答えれば反逆者としてローマに告発し、「納めるべき」と答えたら、イエスの教えには重大な矛盾があると指摘し、信者たちも離れていくだろうと考えたのです。

イエスはすぐに彼らの考えを見抜き、彼らのためにしばし祈りをささげると、
「貢物の金貨を見せなさい」
と言いました。彼らがデナリ金貨を一枚渡すと、
「ここに描かれているのは誰か?」
と問います。律法学者は、これはカエサルである、と答えました。ならば、とイエスは語ります。
「ならば、神の物は神に、カエサルの物はカエサルに納めるがよい」
それを聞いた律法学者たちはすごすごと退散していきました。

この話は、宗教と俗世の支配機構が決して共存できないわけではないこと、の例えとして使われるようです。

ちなみに、上の話では1デナリを金貨と表記しましたが、実際には銀貨なのだそうです。当時のイスラエルはローマの支配下にあったため、ローマにも税金を納めなければなりませんでした。1デナリは一般的な労働者の1日分の給料に相当し、人頭税として1人1デナリを始めとして様々な形で税金がかけられ人々は重税に苦しんでいました。