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歴史人名紹介:コロンブス(1451?〜1506)



ルネサンス期に航海技術も飛躍的に進歩し、西洋人の外洋への進出を可能にしていきました。多くの冒険家たちが海の向こうへ進出して行き数々の業績を上げましたが、その中で最も有名な人物は、マルコ・ポーロの東方見聞録に魅せられ、黄金の国ジパングを目指し西回り航路でアジア目指して、アメリカ大陸に到達したクリストファ・コロンブスでしょう。

コロンブス関係の作品は何本か製作されていますが、今のところ紹介しているのは『コロンブス(1992年)』だけです。

小学生の頃に読んだ、コロンブスではなかったかもしれませんが同時代の冒険家のことを書いた子供向けの伝記本の最後に「彼らは無謀で危険な挑戦をしましたが、その勇気は素晴らしいものだったのです」というような記述で締めくくられていました。しかし、その勇気の代償が先住民の土地を奪い、財産を略奪し、文化を破壊し、先住民達を奴隷にして死ぬまで過酷な労働に従事させたことを考えると、素直に称えたり賞賛したりすることはできないというのが本音です。そういうこともあって、あまり好きにはなれない人物です。

コロンブスは1541年ごろにジェノヴァで生まれたといわれます。地中海の交易の拠点だったこの地で早くから商売の世界に身をおき、1475〜76年にジェノヴァの有力商人に雇用されてエーゲ海のキオス島に航海しています。その後リスボンに居を構えたコロンブスはディ・ネグロ家に雇われさまざまな地へ向かいスペイン語を習得し、海図製作や航海技術も身につけました。地球が球体であると確信し、西回りでのアジア到達航路の着想を得たのもこの時期だったとされます。

しかし、その計画はポルトガル王家によって一蹴され、コロンブスはスペインへの移住を決意します。そして、イザベル1世の聴罪司祭を務めた人物などの知己を得ることができ、イザベル1世への航海計画を具申する機会を与えられました。

イザベル1世は、この具申を諮問委員会に検討させますが、この計画は却下されます。ところがイザベル1世は1492年に計画を実行に移すように命じます。1492年8月3日に3隻の帆船に90人の乗組員を乗せた一行は、72日間をかけて西インド諸島のサン・サルバドル島へ到達します。この航海のさなか、コロンブスが2種類の航海日誌を用意していたのは有名な話です。海の果てと、そこに住むという架空の怪物を船員たちは恐れていたからです。そのため、船員たちに見せる海図にはわざと少な目の航海情報を書き込んでいました。

原住民を始め、数々の戦利品を持ち帰り、喝采を浴びたコロンブスの一行でしたが、この時が彼の絶頂でした。その後、三度の遠征がされ、大陸本土にも達していますが充分な成果を挙げることはできませんでした。さらに、コロンブスの統治能力の欠如が明らかになるにつれ、当初約束されたさまざまな諸権利は次々と反故にされました。先住民を奴隷にして売ろうという考えも国王の不興を買いました。奴隷にして売れば、その利益は奴隷商人のものになり、国王には一切の富が入ってこないからです。コロンブスには政治が見えていませんでした。最後には「提督」の称号のみを残して一切の権利を剥奪されて不遇のうちにこの世を去ります。コロンブスは死ぬまで、たどり着いた地がインドであると信じていたと言われますが……実際にはどうだったのでしょう。

コロンブスは西回り航路の距離を、2400海里(1海里が1852m)と想定していました。地球の大きさを過小評価していたわけで実際には16000海里もあったのです。果たしてこの事実を知っていたら、西回りでの航海を考えたでしょうか。