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歴史人名紹介:チャールズ2世(1630〜1685)



イギリスはその歴史の中で、11年間だけ共和制だった時期があります。1642年に起こったピューリタン革命により、時の国王チャールズ1世は処刑され、王政は廃止されました。しかし、その後クロムウェルによって軍事独裁政権が敷かれ、革命は国民の支持を失いました。1660年に王政復古によって再び王政が復活します。その時の国王が、チャールズ2世です。

リバティーン(2004年)』では、ジョン・マルコビッチがこの役を演じていました。議会と対立を繰り返した、困難な政権運営を迫られる姿が描かれています。

チャールズ1世の次男として生まれたチャールズは、長男の死によって10歳で皇太子となります。しかし、ピューリタン革命によって内戦が引き起こされパリへと亡命を余儀なくされました。1645年にチャールズ1世が処刑されたため、帰国して王になる手段を求めて1649年にスコットランドに渡ります。祖父の代にスコットランドとイングランドは同君連合として同じ人物が王位を冠していました。イングランド王にしてスコットランド王であるチャールズ1世が死んだからには自分がスコットランド王になるべきというのは理にかなっていました。

スコットランド王になったチャールズは、1651年にイングランドに攻め込みますが敗れてフランスに逃れます。それからはフランス、ベルギー、オランダと転々としながら苦難に満ちた亡命生活を送ることになります。しかし、1660年5月にドーヴァー海峡を渡り、王政復古を成し遂げチャールズ2世として即位することになったのです。

さて、日本ではピューリタン革命は清教徒革命などと訳されます。その語源が「ピュア」から来ていることも分かるとおり、まじめに働き、安息日には教会での敬虔な礼拝を求め、娯楽などもってのほか。対して、チャールズ2世はというと、とにかく放蕩な人物だったという印象は受けます。認知しているだけで愛人の数は13人。子供の数は14人。1662年にキャサリン オブ ブラガンザという女性と結婚していますが、チャールズ2世の女遊びはもう手のつけようのない状況だったとされます。そのような王であったにもかかわらず、しかもチャールズ2世の統治時代には非国教徒の弾圧や、ペストの流行や大火などがあったにもかかわらず、その人気が衰えなかったとされます。それは、王政復古前の時代がいかに窮屈だったかという証明でもあリます。

即位するまでが、あまりに苦難の連続だったため(亡命時代にも愛人を作ったりしているのですが)その反動からか、即位後のチャールズ2世は大いに遊び、大いに楽しみました。明朗快活なその人柄は、「陽気な王様」と仇名されます。その一生に幕を下ろしたのは1685年の2月。死因は美食や放蕩による痛風から来る腎臓病だったとされます。

ところで、その死の直前に、自身がカトリック教徒であることを告白したとも伝えられます。イングランドには国教会があり、国教会はプロテスタントでした。カトリックとプロテスタントの対立は16、17世紀ヨーロッパを揺るがした大問題です。カトリック擁護者だったチャールズ2世はたびたび議会とも対立します。チャールズ2世の死後、弟のジェームスが後を継ぎますが、バリバリのカトリックだったため、議会からも反発をくらい、ついには廃位させられることになります。その後、イングランドの王位はプロテスタントのステュアート家の出自の者に限られることになります。そのことが、議会の力を強め、イングランドの立憲王政の確立につながったといえます。




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