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歴史人名紹介:カエサル(前100頃〜前44)



ガイウス・ユリウス・カエサルは、古代ローマの共和政末期の政治家であり、ローマが帝政へと移行する道筋を作った人物です。英語読みのジュリアス・シーザーのほうが日本では馴染みが深いでしょうか。古代ローマの絶対的権力者として君臨したカエサルでしたが、共和政支持者によって暗殺されました。カエサルは古代ローマ帝国の初代皇帝ではありませんが、カエサルに捧げられた称号、インペラトール(大元帥)は、エンペラー(皇帝)の語源となりました。ヨーロッパのカエサル崇拝は根強く、カエサルはローマ皇帝の称号の一つとなり、後の世のカイゼル(ドイツ皇帝)やツァーリ(ロシア皇帝)の称号もカエサルから来ています。古代ローマ時代の歴史家スエトニウス(70頃〜130頃)は、ローマ皇帝伝の第一にカエサルを持ってきており、古代ローマの時代でも、カエサルが事実上最初の皇帝と考えられていたのかもしれません。

カエサルが登場する作品は、スパルタクスの反乱を描いた『スパルタカス(1960年)』『スパルタカス(2004年)』、ガリア戦記を描いた『グレート・ウォーリアーズ(2000年)』、古代エジプト最後の女王クレオパトラとの愛を描いた『クレオパトラ(1963年)』『レジェンド・オブ・エジプト(1999年)』『ミッション・クレオパトラ(2002年)』、ローマが共和政から帝政へと移行する時代を描いたアメリカのテレビドラマ『ROME<ローマ>(2007年)』、古代ローマを全体的に描いたテレビのミニシリーズ『ザ・ローマ〜帝国の興亡〜(2006年)』でも、第2話がカエサルを主人公にしています。

そのカエサルが、政治の中心に登場してくるのは紀元前60年の第一次三頭政治の時です。このころ、平民党の頭領として頭角を現していましたが、三頭政治のポンペイウス、クラッススとはその勢力は大きく劣っていました。カエサルが青年の頃、世は平民党のマリウスと閥族党のスッラとの間で血で血を洗う権力闘争が続いていました。マリウスの右腕だったキンナの娘と結婚していたカエサルはスッラから財産も剥奪され命を狙われ逃げ回ることになりました。旧家の名門の出であったカエサルはスッラ派にも有力な親戚がおり、それらの尽力によって命は助けられました。昵懇の人たちや要職の歴任者から熱心にカエサル助命を受けたスッラは、最後は折れてカエサルの命を救うをことを約束しますが、その際に彼らに向かってこう言い放ったと伝えられます。

「よろしい。カエサルの命は助けよう。しかしながら、このことだけは覚えておくがいい。君たちが助けようとしている者は、いずれ君たち自身、貴族派にとって災いをもたらすだろう。カエサルは何人ものマリウスに相当するのだから」

そのスッラが紀元前78年に死去したのちに頭角を現したのが名将ポンペイウスと大富豪クラッススでした。その中でも、ポンペイウスの活躍は目覚ましく、元老院はポンペイウスに警戒し始めます。クラッススもポンペイウスに警戒し、平民党で台頭していたカエサルに接近していきます。元老院にできうる限り譲歩していたポンペイウスでしたが、そのことでポンペイウスを見くびった元老院はポンペイウスの要求を拒否するようになっていきます。ついに、元老院に見切りをつけたポンペイウスは平民党に接近し、カエサル、クラッススとともに私的な密約を交わします。カエサルは2人の後ろ盾で執政官となり、クラッススはシュリア総督をポンペイウスはこれまで元老院で拒否されていた要求を手に入れます。執政官の任期を終えたのち、カエサルは紀元前58年から紀元前51年にかけてガリア(現在のフランス)で戦いローマに広大な属州をもたらし、自身も莫大な財産を手に入れました。しかし、同盟は友情の証として結ばれたカエサルの妻でポンペイウスの娘ユリアの死(紀元前54年)とクラッススの戦死(紀元前53年)によって崩れます。

ポンペイウスとカエサルの戦いは避けられなくなりました。ローマではカエサルを訴追しようとする動きが強まり、ポンペイウスは強硬派に屈しカエサルに内乱か政治的な破滅かを突きつけます。カエサルは、軍をローマへと向けました。ローマに軍を入れるとなれば国賊、かといって軍を解体して単身戻ったところで命はありません。カエサルがこのとき語ったという『賽は投げられた』という言葉や、ローマとの境界であるルビコン川を指して『ルビコン川を渡る』という言葉は、進退きわまったときに思い切って自分の信じた道を進むことを表現する言葉として現在でもつかわれます。ポンペイウスたちはローマを追い落とされ、ファルサスの決戦で完膚なきまでに打ちのめされます。降伏したポンペイウスの将兵を取り込んだカエサルの軍はエジプトへと逃れたポンペイウスを追ってエジプトに迫ります。

この頃のエジプトは若干13歳のプトレマイオス13世とその姉のクレオパトラによる統治の時代でした。しかし、クレオパトラはプトレマイオスの側近により追放されていました。クレオパトラは自分が女王として返り咲くために、カエサルの力を必要としており、貢物の絨毯の中に隠れてカエサルに接近します。クレオパトラの大胆さや聡明さに大いに興味をもったカエサルは、クレオパトラを女王として復権させるの尽力し、プトレマイオス13世と政治を私していた側近たちを滅ぼしました。

当時17歳のクレオパトラがカエサルを籠絡したかどうかはとにかく、カエサルはその後1年以上にわたりエジプトに滞在し、クレオパトラとの間に息子をもうけます。カエサルが、王政に大きな関心を持つようになったのはこの頃でしょう。カエサルの野心は、たんにローマの覇者、ローマの最高権力者ではおさまらなくなっていました。小アジアの属国ポントスでの反乱をきっかけにエジプトを発ったカエサルは、ポントスの軍を打ち破ると有名な『来た、見た、勝った(VINI、VIDI、VICI)』の報告を送り、ローマへと凱旋します。さらに、北アフリカに勢力のあったポンペイウスの残党を壊滅させます。紀元前46年10月。帰国したカエサルは元老院から終身独裁官の地位を獲得し、名実ともにローマの最高権力者となります。

しかし、最期の時は迫っていました。共和政の支持者でカエサルに恨みを持っていたカッシウスらの間で、カエサル暗殺の謀議が進められます。クレオパトラを国賓としてローマに招いたカエサルは、懸案としていたパルティア王国遠征に先立ち元老院から王冠を授かろうと考えるようになります。

紀元前44年3月15日――元老院で陳情を受けていたカエサルは暗殺者の凶刃に倒れます。その中には、わが子のように愛していたマルクス・プルートゥスや、誰よりも信頼を置いていた配下のデキニス・ブルートゥスの姿もありました。23か所を刺されたカエサルはかつての宿敵ポンペイウスの像の足元で死んだとされます。カエサルが最後に発したとも伝えられる「ブルートゥス、お前もか」という言葉は、ウィリアム・シェイクスピアの芝居『ジュリアス・シーザー』などでも使われ、有名になりました。