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歴史人名紹介:黒太子エドワード(1330〜1370)



黒太子エドワードは、百年戦争前半期のイングランド最大の英雄です。序盤の数多くの戦いに参加し、その多くで勝利を収めました。

今のところ、黒太子エドワードが主役の作品は紹介していませんが、『ロック・ユー(2001年)』にチョイ役ながら、騎士道精神と寛容さをあわせた人物として、主人公のピンチを助ける役回りで登場します。

黒太子の名前の由来になったとされ、広く信じられていたのは、黒い甲冑を着込んで戦っていたからだというものがあります。しかし、今のところ、そのような事実を示す明確な史料は見つかっていないとされます。

その黒太子エドワードの戦功としては、クレシーの戦いにおいて若干16歳にして右大隊を指揮しフランス軍を敗走させたこと(1346年8月)。ポワティエの戦いでは、総大将としてフランス軍を敗走させ、フランス王ジャン2世までも捕虜にしたこと(1356年)。カスティリーヤ王を追われたペドロ1世を助け、フランスの支援によって王位についたエンリケ王を破り、ペドロを王位につかせたことなどが挙げられます(1367年)。

戦場において高潔な騎士だった反面、無慈悲な残酷さを示すこともありました。1370年のリモージュ攻略戦では、年齢性別を問わず、すべての住民を皆殺しにしました。

黒太子エドワードは有名な「ブルーガーター騎士団」の創立当初のメンバーの一人です。クレシーの会戦後の1648年にエルサンの宮廷で行われた騎馬試合で、イングランド国王エドワード3世は自分の近くに12名の騎士を列席させました。同様に、黒太子も12名の騎士を列席させました。黒太子を含めた25名が創立時のメンバーであり、イングランドで最も権威ある騎士団として、現代でもガーター勲章としてのこっています。

この騎士団の名前の由来となった出来事が、舞踏会で絶世の美女といわれたケント伯妃ジェーンが靴下止めを落としたのを、エドワード3世が拾ったことでした。人々が忍び笑いを漏らす中、「これを悪意に思うものこそ恥じ入るべし」と自らの膝につけたといわれます。このケント伯妃は、後に夫と死別し、黒太子の妻となり、後の国王リチャード2世を産む女性です。

1376年に、王位に就くことなく病没します。ランタベリー大聖堂の荘厳な墓に、黒太子は眠っています。墓棺の周りには紋章盾が置かれ、その中の平和の盾には、今日、プリンス オブ ウェールズの紋章とされている3枚のダチョウの羽根が描かれています。