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歴史人名紹介:エリザベス1世(1533〜1603)



エリザベス1世は16世紀のイングランドの女王で44年間の長きにわたり、イングランドを統治し、イングランド隆盛の礎を築いた人物でもあります。生涯独身を貫いたことで処女王という呼ばれ方をすることもありますが、女王にもいくつかのロマンスがありました。それらが不幸なエンディングを迎えたこともあり、結果として独身を貫く結果になったのではないかと思っています。

エリザベス1世を主役にした作品は4本紹介しています。『エリザベス(1998年)』と続編の『エリザベス ゴールデンエイジ(2007年)』ではケイト・ブランシットが演じています。『エリザベス1世(2006年)』ではヘレン・ミレンが崇高な女王の姿を感じさせてくれます。『女王エリザベス(1939年)』はエリザベスとエセックス伯の恋模様を描いた作品です。その他関連作品では『無敵艦隊(1939年)』と『恋に落ちたシェイクスピア(1998年)』、『もうひとりのシェイクスピア(2011年)を紹介しています。いずれも、個性的なエリザベス1世を演じておられましたが、一番インパクトがあったのは『恋におちたシェイクスピア』のジュディ・デンチのエリザベス女王ですね。作品自体とても面白い作品なのでぜひ一度観てみてください。

歴史の転換点・アルマダの海戦でも、エリザベス1世の紹介をしていますのでそちらもご覧ください。

エリザベスの生涯は生まれたときから波乱万丈になることが決まっていたようなものでした。彼女の母アン・ブーリンは、ヘンリー8世の最初の妻だったキャサリンの侍女でした。ヘンリー8世の子供を身ごもったアンと結婚するためにイングランド国教会をローマ教会から独立させるという手段をとったのです。アンはエリザベスを生んだ後、ヘンリー8世の寵愛を失い汚名を着せられ処刑されました。当時、エリザベスは2歳ほどでしたので何も知ることはなかったでしょう。ヘンリー8世はエリザベスを非嫡出子としましたが愛情は注いでいました。

ヘンリー8世の死後に1547年に弟のエドワードがエドワード6世として即位しました。病弱だったこの弟をエリザベスは特に可愛がっていました。幼年のエドワードにイングランドを統治する能力はなく、叔父のサマセット公が摂政として実権を握りますが、その弟のトマス・シーモア男爵がエリザベスにとって災難の種になってしまいます。当時、トマス・シーモアはヘンリー8世の元妻のキャサリンと結婚していました。そしてエリザベスもキャサリンとともに暮らしていました。エリザベスはこのトマス・シーモアに好意を持っていました。キャサリンの死後トマス・シーモアはエリザベスとの結婚を希望し、エリザベス自身にもその意志があったらしいとされます。ところが、トマス・シーモアが兄の権勢をねたみ陰謀を企てたことが発覚しロンドン塔に送られ処刑されます。エリザベスが15歳の頃でした。エリザベスもその陰謀に加担したとうわさされました。そのように思われていることを知ったエリザベスはサマセット公に自筆で書簡を送り、加担をきっぱりと否定しました。それが功を奏しエリザベスの疑いは晴れたのでした。

エドワード6世の死後、義姉のメアリ1世の時代は彼女にとって苦難の時期でした。旧教を信仰していたメアリ1世は、旧教の擁護者を自認していたスペイン王フェリペ2世と結婚すると、イングランドを急激に旧教に戻そうと新教徒への弾圧を始めました。そのため、彼女は血まみれのメアリ(ブラッディ・メアリ)と呼ばれました。新教徒だったエリザベスは、メアリからにらまれることを恐れて表向き旧教のミサにも参加したりしますが、新教徒たちの期待を背負ったエリザベスをメアリは警戒し、新教徒による反乱が制圧された際、エリザベスもロンドン塔に幽閉します。しかし、エリザベスを処刑することはできず、エリザベスは人生最大の危機を脱しました。

1558年にメアリ1世が死去し、ついにエリザベスが女王に即位します。エリザベスは枢密院という39人(メアリ1世の頃)のメンバーからなる国家の最高意思決定機関の顧問官を19人にまで減らしました。その中にいたニコラス・ベイコンやウィリアム・セシルというこの後彼女を支える人材を重用するのですが、彼らはメアリ1世の時代に登用された人物でした。その後も、ウォルシンガムなどの有用な人材を抜擢し、イングランド国教会の確立やフランス・スペインなどの大国を相手に回しての外交におけるバランス感覚など、彼女は統治者として優れた能力を発揮します。それらは、その時々の情勢に翻弄され続けた若い時代に身につけられたものだという風に感じます。

エリザベスの個人に対する評価は、とても難しく感じます。当時のイングランドはひどいインフレ状態にありました。救貧法や通貨法の改正で社会の基盤を整え毛織物業の発展に力を注ぎ、大商人へ特許状を出し、スペイン商船を私掠させ国を富ませます。そしてスペイン無敵艦隊撃破の後、イングランドはさらに海に乗り出していきました。44年の統治時代の成果はとても大きく、もちろんすべてが成功に終わったわけではありませんでしたが、後の大英帝国の基礎を築いたといっても過言ではない業績を残します。スペインの大使は彼女をさして、「体に千の悪魔が巣くった女性」と本国に書き送ったとされます。そういった謀略に長けているのも統治者としての重要な資質のひとつであると考えます。

反面、時として気まぐれな行動を起こしたり、感情の赴くままに行動したりすることもままありました。エセックス伯ロバート・デヴェラーに対する仕打ちはその典型でした。30歳以上も年齢の違う若い貴族に好意を持った女王は、エセックス伯にさまざまな特権を与え、重用しました。さらに、数々の命令違反に対しても許してしまい、傲慢だったエセックス伯をさらに増長させ、最後は反乱という行動に駆り立てる結果となりました。

1603年3月。偉大な女王は、体力の衰えから倒れこみました。死を察知したのか、従者たちに自分を立たせると、15時間も立ったまま死を拒否し続けましたが、やがて倒れこみました。それでも寝所に入ることを拒み、用意されたマットの上で4日間死と戦い続けました。享年70歳。後の大英帝国を築く礎となった生涯でした。エリザベス1世の死によって、テューダー王朝は、幕を下ろしました。