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歴史小話


歴史人名紹介:ヨハネス・フェルメール(1632〜1675)



ヨハネス・フェルメールは17世紀のオランダの画家です。レンブラントとともにこの時代を代表する画家ですが、フェルメールの作品は現在分かっているだけで三十数点。知られていないものを含めてもせいぜい四十数点ほどしかないと言われ、極めて寡作な画家だったことがうかがえます。

日本でもファンの多い画家ですが、あまり美術に興味のない方でも『青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)』は『真珠の耳飾りの少女(2003年)』のヒットや、2007年から2008年の初めごろに某液晶テレビのCMで使用されたこともあり、ご存知の方も多いのではないでしょうか。映画『真珠の耳飾りの少女』でフェルメールを演じていたのはコリン・ファース。この作品では恐妻家だったり、製作費に関してはパトロンに頼っていたように描かれています。実際お金には苦労をされていたようですが生涯に描いた作品がせいぜい40点強だったことを考えると、ある程度自分の意思に反した絵を描く必要がない程度の経済的な余裕は持っていたのではないでしょうか。

あらゆることに関して素人でしかない管理人にとって、フェルメールの作品はただ眺めて美しいと感じるよりほかになく、技法がどうといわれてもそういった説明は他のサイトや研究書に譲るよりないのですが、20世紀の有名な画家サルバドール・ダリは、フェルメールを高く評価し、著書の中で歴史的な芸術家の技術や構成力などを項目別に採点し、名だたる作家たちの中で最高点をつけたとされます。17世紀は、科学技術の発展が芸術にも大きな影響を与えた時期にあたり、描画の参考とするため「カメラオブスキュラ」という一種のピンホールカメラを用いていたといたともいわれます。フェルメールの作品は最先端の絵画技術を駆使して描かれたものでした。

フェルメールは絹織物職人で居酒屋・宿屋を経営していた父レイニールのもとに生まれます。レイニールは、レンブラントが生まれる前年、画商として画家中心のギルド、聖ルカ組合に加盟しています。フェルメールは生涯を故郷のデルフトの町で過ごしました。

フェルメールは1653年にカタリーナ・ボルネスと結婚しています。カタリーナの母マリーナは、「結婚の書類に署名はしないが、結婚に妨害もしない」と語ったとされます。その年の終りに聖ルカ組合に加盟していますので、これ以前に画家としての修業を積んでいたようですが、それはデルフト以外の場所でだったようです。2人は22年間の結婚生活の間に14人の子供が生れ、10人が成人したとされます。当時は子供の死亡率が高かったそうなので、出産の人数が多かったのもうなずけますが、その割に、フェルメールが母と子をモチーフに選ぶことはなかったとされます。

フェルメールの死後、多額の債務が残されていたとされます。カタリーナの母マリーナは裕福な資産家でしたが、日々の生活に困るほど困窮している娘のために何も渡さなかったともいわれます。それは、負債の一部がカタリーナの浪費によって発生したものではなかったからではないか、などとも思えます。カタリーナの兄はひどく金にだらしがなく、カタリーナの父は、マリーナや家族に虐待を加えていたとされ、そのことが彼女の性格形成に大きな影響を及ぼしていたとしても不思議はありません。世間一般の通説では良妻だったそうですが、果たしてどうだったのでしょう。

フェルメールは1662年と1670年に聖ルカ教会の理事に選出されています。生前から高い評価を受けていた画家でしたが、作品の少なさもあって、その死後200年以上忘れ去られた画家になりました。1866年にフランス人トレ・ビュルガーが著した論文によってフェルメールは再評価されます。トレ・ビュルガーは画商としても知られた人物でしたので、再発見のシナリオによって利益を得ようとしたともいわれます。トレ・ビュルガーは約70点をフェルメール作としていましたが、その後の研究によって減っていきました。

フェルメールは1675年にデルフトで死去します。43歳でした。