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歴史人名紹介:ネロ帝(37〜68)



ローマの第5代皇帝。54年に即位し、最初の5年ほどは補佐役のセネカや、近衛隊長のブルスといった側近たちの力を借りて善政を敷きますが、やがて残忍な性質を見せるようになり、暴君ネロとして現代までその悪名を残してしまった人物です。

今のところ、紹介しているネロに関する作品は『クォ・ヴァディス(1951年)』では、ピーター・ユフチェノフが、芸術家気取りの無能な皇帝を演じています。どちらかといえばキリスト教色の強い作品ですね。『ネロ ザ・ダークエンペラー(2003年)』でネロを演じたのはハンシ・マシソン。こちらは、好青年で理想に燃えていたネロが周囲の人間を信じられずに転落していくさまを中心に描いているので、芸術家気取りだった一面などは全く出てきません。英国BBCのTVミニシリーズの『ザ・ローマ〜帝国の興亡〜(2003年)』では第1話でネロ帝を取り上げています。

母アグリッピナは、これまた悪名高い皇帝カリギュラの妹で自身もとかく野心家でした。4代皇帝のクラウディウスが妻メッサリーナを重婚の罪で処刑すると実子であるネロを皇帝にするためクラウディウスと結婚し、ネロを養子とします。さらに、クラウディウスを暗殺すると16歳のネロを皇帝にします。この時、クラウディウスの遺書も存在し、後継者の名前も書かれていたとされますがそれが公開されることはありませんでした。一説では、そこにはネロの名ではなくクラウディウスとメッサリーナの皇子の名前があったためとされます。

政治にも口を出すだけでなく、ネロが自分の言いなりにならないとなるとクラウディウスの息子を担ぎ出しネロの政治的立場に揺さぶりをかける母の存在に危機感を抱いたネロは、クラウディウスの子を、そして母を殺害します。この頃の、ローマ皇帝は元老院の信任を得なければならずその政治的地位は絶対のものではありませんでした。ネロは元老院から不信任を突きつけられることを恐れ、自身の敵を粛清することで地位を護ろうとしていました。さらに、奸臣の言葉に従いセネカを隠遁させると、妻と別れた挙句流罪にし、殺害します。そして自分は人妻で愛人だった女と結婚するのです。

ネロの悪名を決定付けたのは64年のローマ大火でした。この時、ネロは避暑に出かけていましたが、大火の報を受けると急ぎローマへ戻り、迅速に被災者の支援を行いました。しかし、この時かねてより計画していた黄金宮殿の建築を始めてしまいました。このことが原因で、大火の本当の原因は宮殿建設のためにネロ自身が放火したのではないかというわさがまことしやかに流されました。あわてたネロは、この罪を誰かにかぶせようと考えました。そして、そのスケープゴートに選ばれたのが、当時まだ新興宗教に過ぎなかったキリスト教徒でした。

この時処刑されたキリスト教徒の数は300人にも上りました。その中にはペテロやパウロの名前もありました。処刑は公開で行われましたがそれがあまりに残虐だったため、かえってキリスト教徒への同情が広まり目論見は失敗に終わってしまいます。

ローマの復興は属州への税負担の増加を招き、次々とネロ暗殺の陰謀が発覚します。それに嫌気がさしたのか、ネロはもともと傾倒していたギリシア文化の中心地へ、歌の力試しに出かけます。せいぜい下手の横好きレベルに過ぎなかったということですが、ローマの最高権力者にそのようなことを言うものなどいるとも思えませんから、きっと喝采を浴びて大満悦で帰国したことでしょう。

しかし、帰国したネロを待っていたのは新たなる反乱でした。ガリアで起こった反乱はヒスパニアに波及し、その総督ガルバが立ち上がると、ローマの近衛軍団もそれに同調します。民衆の支持も失っていたネロに、元老院は国家の敵の烙印を押します。近衛軍団・ローマ市民・元老院から見捨てられたネロはローマを逃れますが、追い詰められ自害します。その後には、次々と軍人皇帝が誕生する混乱の時代が待っていました。






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