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歴史小話


歴史人名紹介:ロドリゴ・ディアス・デ・ビバール(エル・シド)(1043?〜1099)



ロドリゴ・ディアス・デ・ビバールは11世紀のスペインの武将で、通称はエル・シド。シドはアラビア語のsidの借用で、殿とか貴族とかいう意味あるそうです。イスラムにおいてシドは英雄に対する尊称であり、他にもエル・シドの尊称を受けた英雄もいました。有名な「わがシドの歌」にも登場するロドリゴ・ディアス・デ・ビバールはアルフォンソ王(在位1072年〜1109年)に忠誠を誓い、イスラム教徒相手に奮戦するキリスト教戦士の鏡のような人物とされます。しかし、歴史に残るロドリゴ・ディアス・デ・ビバールは、武勇に優れた一介の傭兵隊長にすぎず、文学世界のエル・シドとは大きな隔たりがあるのが実際なのだそうです。

現在紹介している歴史映画の中では『エル・シド(1961年)』を紹介しています。英雄エル・シドを演じるのはチャールトン・ヘストン。古き良き時代のハリウッドの歴史大作です。

ロドリゴの生涯に詳しい史料にも乏しく、無名の伝記作家が残した『ロドリゴ伝』が、英雄の素顔を残してくれています。それによれば、ロドリゴが生まれたのは1043年ごろ。20代のころにカスティリーアの国王サンチョ2世に従って戦場を駆け抜けますが、その王が1072年に暗殺されます。それが、王弟で次期国王のアルフォンソ(アルフォンソ6世)によるものだと思い込んだロドリゴが復讐を決意し、その結果、アルフォンソ6世の不興を買い、カスティリアを追放された、と言われます。しかし、カスティリア追放の理由は、はっきりしたことは分かっていません。当時ロドリゴはアルフォンソの妹を妻としており、それが追放されるとなると、よほどのことです。

追放ののち、南下しながらイスラムの要塞を撃破したりします。追放されたと言っても、ロドリゴに従う兵も大勢いましたので、彼らを養うには金も必要です。サラゴサのイスラム王と契約を結び、その敵のイスラム教徒、キリスト教徒と戦い、その武勇をいかんなく発揮します。この当時はスペインは、イスラム教徒によってキリスト教とは追い立てられ強大なイスラム教国家が建設されていました。しかし、そのイスラム教国家も、いつしか分裂し、小国家に分裂。キリスト教国家であるカスティリアなどは、奪われた土地を取り返すために、イスラム教徒たちと戦いを繰り広げていました。イスラム教徒同士でも激しい争いが続いていました。

ロドリゴにとっては、自分の武勲を認め、より高く買ってくれるほうに就くのは当然で、キリスト教徒と戦うことも大した意味を持っていませんでした。一度、アルフォンス王に許されカスティリアに戻りましたが、また、追放されイスラム王の下で戦ったりしました。その戦いぶりは残虐非道で、約定を平然と破り、教会を破壊し、略奪を繰り返したと伝えられています。記録の中に出てくるロドリゴ・ディアス・デ・ビバールは、中世の英雄物語に出てくるような清廉で信義を重んじ、アルフォンソ王に忠誠を誓う高貴なる騎士のそれとは、かなり趣が違ってきます。

イスラムの世界で武勇を称えられたロドリゴ・ディアス・デ・ビバールは敬意をこめてサイードと呼ばれるようになり、それがスペイン語に入ってシドと呼ばれました。キリスト教世界に戻った後も、ロドリゴの指揮下の兵たちはシドとあだ名しました。定冠詞のエルをつけて、エル・シドと呼ばれ、それが後世に伝え残されました。

1094年にバレンシア城を落とした後は、そこの城主となり、アルフォンソ6世との関係も修復されました。一人息子を戦争で亡くすという不幸を味わいましたが、姉と妹の娘を貴族の子弟に嫁がせ、晩年は王侯貴族のようにして暮らしたとされます。1099年死去。

その死後、ロドリゴの武勇を称え、さまざまな伝説が作られました。その最高傑作が「わがシドの歌」ですが、これに正式な題名は付けられておらず、研究者が便宜上つけたものです。成立年代も作者も分かっておらず、おそらくそれが明確になる日は来ないのでしょう。