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歴史人名紹介:トマス=モア(1478〜1535)



トマス=モアはヘンリー8世時代のイングランドの人文主義者です。『ユートピア』の作者といえばすぐに分かるでしょう。

トマス=モアが主役の作品は、かの名作『わが命つきるとも(1966年)』を紹介しています。歴史映画としてのできのいい名作と呼ぶに相応しい作品だと思います。

ロンドンの法律家の息子として生まれたトマス=モアは大司教に引き取られ、92年オックスフォード大学に進学しました。この頃、イングランドでは、ルネサンスを経て『新しい学芸』の花が開き、若いトマス=モアに影響を与えました。ロンドンのニュー法学院、リンカン法学院で古典研究にいそしみ、その後法律家、政治家として活躍しました。

オランダ出身の人文主義者エラスムスとは青年時代より親交がありました。初めて出会ったのは20歳の頃でロンドン市長主催のパーティでした。2人は、名乗る前に互いに気づき、「君がトマス=モアでなければ何人でもない」と話しかけ、「君がエラスムスでなければ悪魔だ」と応じたと伝えられています。

ユートピアを書いたのは1515年にスペインとの外交に際してオランダへと使わされた頃でした。大半がラテン語で書かれ、16年の帰国後に出版されると大反響を呼び、各国語に翻訳されてヨーロッパ中で読まれました。

29年に聖職者ではない人物としてイングランドでは初めて、大法官にまで上り詰めました。しかし、ヘンリー8世とキャサリン王妃との離婚問題をめぐり、国王とローマ教皇の対立が起こると、国王への忠誠を誓いつつも、教皇を支持しました。このため、32年に大法官を辞職します。

そのことで不審を抱かれたトマス=モアは、34年にロンドン塔へと幽閉されると、厳しい取調べの後、翌35年に、大逆罪で処刑され、その首はロンドン橋にさらされました。

1935年に、カトリック殉教者の列に加えられました。