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歴史映画紹介


最後の忠臣蔵(2010年)


日本

監督:杉田成道

<キャスト>  瀬尾孫左衛門:役所広司  寺坂吉右衛門:佐藤浩市  可音:桜庭ななみ  茶屋修一郎:山本耕史  きわ:風吹ジュン  奥野将監:田中邦衛  進藤長保:伊武雅刀  茶屋四郎次郎:笈田ヨシ 他

2010年劇場公開作品(ワーナー)




最後の忠臣蔵



元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)、播州赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が、高家旗本・吉良上野介義央に対して江戸城殿中において刃傷に及んだことに端を発した一連の事件。浅野内匠頭は即日切腹となり、赤穂藩は改易となった。遺臣である大石内蔵助良雄以下赤穂浪士47名(四十七士)が翌15年12月14日(1703年1月30日)深夜に吉良屋敷に討ち入り、吉良上野介を殺害。いわゆる忠臣蔵として現在でも何度も映画・ドラマ・小説・舞台などで取り上げられ、様々な角度からアプローチされている。

この映画は池宮彰一郎の同名小説を映画化したもので、実在した瀬尾孫左衛門、寺坂吉右衛門の両名をモチーフに描いている。寺坂吉右衛門は討ち入りには参加するものの、一行が亡き主君が眠る泉岳寺に到着したときにはその姿がなかったという。その為、寺坂を赤穂浪士の1人として加えるべきかどうかが、事件当時から論争の火種となっていたという。また、瀬尾孫左衛門はもとは大石内蔵助の家臣であったため本来浅野家家臣の盟約に加わることなどできなかったのが大石に懇願して参加。ところが討ち入り前日に逐電(逃亡)する。この両者に関しては、単純な逃亡ではない可能性も指摘されている。

物語の舞台は、あの討ち入りから16年後。寺坂吉右衛門が大石内蔵助から受けた「四十六士の遺族を巡り、戦いの全てを伝え、生活の援助をするように」という命も、最後の1人に会うことで終わりを迎えた。京での四十六士の法要に参加するための道すがら、かつての旧友、瀬尾孫左衛門によく似た男に見かけた。その瀬尾孫左衛門は今では商人として日本各地を駆け回る日々。しかし、彼には大きな秘密があった。瀬尾と、瀬尾とともに暮らす女性・可音。世間から離れひっそりと暮らす2人だったが、可音に豪商・茶屋四郎次郎の嫡男・修一郎が一目惚れをしたことで、運命は大きく動き始める。そして、寺坂と瀬尾の再開、秘密にされていた可音の素性などが明らかにされていく。

武士の使命に殉じるというテーマがとても重い。しかし、大石が、瀬尾……あるいは寺坂に対しても、求めたのは赤穂に殉じることだったのだろうか? 大石が私事のためだけに、命を捨てる覚悟でともに加わった人間に、ただ手前勝手に仲間から抜けさせたのか? 寺坂は士分ではなく最下級の武士である足軽身分。瀬尾は一介の陪臣。おそらく、浅野内匠頭には目通りすらかなわぬ身分だっただろう。寺坂に大石が命を下す場面でわざわざ「これはお前が足軽身分だから命じるわけではない」と断っているが、厳しい身分階級がまかり通っていた封建制度の社会。一説では、寺坂が泉岳寺にたどり着くまでに姿を消した理由は、足軽身分の者が討ち入りの参加者の中にいては公儀に対して差しさわりがあると大石が逃がしたものだという。殿に声さえ掛けてもらったことのない彼らに命を捨てさせるに忍びないという大石の配慮ではあるまいか……と思えてくる。もちろん、物語自体はフィクションで、原作者や脚本家の意図がどこにあったのかわからないが、思想が全く違う現代と過去とはいえ、人の本質がそう変わるものではないと思いたい。瀬尾の最期は、本当に大石に殉じたというより、自分の為という気がしてくる。

おススメ度: シナリオが少々気に入らないところが多かった。伏線というか、ストーリー自体が分かりやすく、ああこうなっていくのだろうな、というのがほぼ同じように推移していった。しかし、良質な時代劇なのは間違いないと思う。ラストの瀬尾の最期は、あまりにも丁寧に描きすぎていて思わず目をそらしてしまった。DVDにするときは、多少修正が必要かもしれない。おススメ度はにしている。


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